米沢嘉博氏の葬儀に行ってきました

y-sugiyama2006-10-07

前の日記に書いた推測は全くのはずれのようで。
まだまだだなあとくだらないことを感じました。


さて、コミックマーケット準備会前代表の米澤嘉博氏の
告別式に行ってまいりました。
面識なんてほとんどなくて、反省会の時に顔を拝見した
くらいでしかないけど、行かないと後悔しそうだったので。


寺の入口から本堂?までの道の両脇には故人の写真や
コミケカタログではおなじみのDr.モローの絵を持った
スタッフが並んでいた。
*多くの方が写真を撮っていたので、自分もここで
 写真撮影をしとけばよかった・・・。出棺後にはなかった。


焼香の列はかなり伸びてたのだけど、
多くの人が書いているであろうが、コミケスタッフだけあって、
列の整理には慣れたもの。そして参加者も慣れたもの。
並んでいる最中、「葬式って感じじゃないよなあ。」
と語っている人多数。確かにイベントみたい。


でも、焼香で並んでいる最中に友人代表の弔辞があったのだが、
その話を聞いているとこみ上げてくるものがあった。


米澤氏の葬儀だけあって、漫画・アニメ界では有名な人の顔を
結構見かけた。竹熊氏とか。


焼香後は外で出棺を待っていたのだが、私はかなり本堂の
近くの場所にいたのだが、入口の方を見ると凄い数。
聞いた話では2000人くらい来ていたのではないかとの事。
高校生の参列者も見られ、幅広い年齢層が集まった。
きっと、米澤氏の葬儀について報じるメディアはほとんど
いないのだろうけど(NHKは少しだけ報じた)氏の残した
「場」の偉大さが評価されないわけではない。


出棺時には喪主である奥さんのベルこと米澤英子氏の話があった。
想定はしていたけど、ベルさんは明るく故人の最後について語ってくれた。
内容としては
「氏は4月の定期健診で影が見つかったのだが、
 元来のめんどくさがりな性格から、すぐには検診にいかなかった。
 6月(7月だったかも)に検診に行ってガンが判明したが、
 翌日から三日三晩飲んでいた。その後も各イベントでは飲んでいたが、
 体調が徐々に悪化し、拡大集会コミケでは座ってこなしていた。
 コミケ後は築地に入院し、治療していたが一時帰宅も出来なくなった。
 最後の原稿は東京新聞だったが、娘による口述筆記だった。
 パソコン原稿は珍しいので貴重だと思う。
 原稿提出後さらに容態が悪化し、喋ることも出来なくなった。
 その時はさすがにショックだった。その後容態は悪くなる一方だった。
 30日の拡大集会から帰ってくると意識は既になかった。
 最後は家族で泊まって、1日に苦しまずになくなった。
  家庭では善き家庭人だった。料理を作っていたのも氏であり、
 子供の弁当も作っていた。ただ、クリエイターは作るのが仕事と言い、
 片付けは行なわなかった。
 氏は三人の共同代表にすることを託して、全員が参加者であり、
 自由な表現の場であるコミケをと言っていた。
 今後は有限会社コミケット社長、コミックマーケット代表補佐として
 新代表を補佐していきたい。氏が抜けた穴は大きいが頑張っていきたい。
 最後に、2日間変な天気でスタッフを困らせないでよ。米やん。」


ちょっと違っているかもしれないですが、こんな感じでした。
ベルの明るい語り口に、少々涙。


出棺は「マツケンサンバ」の替え歌で出棺。
拍手で送られる、非常に珍しい葬儀でした。


改めて米澤氏のご冥福をお祈りいたします。


最後に
前のエントリーでも書いたけど、
コミケットの体制が刷新されて、
これを期に圧力が増すのが想定される。
版権の問題とか警備の問題とか税の問題とか。
それをどういなしていくのか。
コミケットの終わりの始まりか、さらなる発展か。
注目していこうと思う。